母のこと
チャクラはアーユルヴェーダの概念の一つ、機能不全家族の問題は第1チャクラと関わる。人の赤ん坊は母親を通してこの世界と出会う。幼少期おトラウマはその後の人生に深い影響を及ぼす
母(発達障害)はコミュニケーションの拙さを乗り切るために、立派なクリスチャンという仮面をつけ、それが本当の自分だと思いこんだ。私も母の仮面を本島の母と信じ取り込まれた。何かがおかしいと感じながらも気づけなかった。
赤ちゃんとお母さんの間には、言葉になる以前の非言語コミュニケーションがある。発達障害を持つ母親は加ちゃんの様子を細かく感知することは難しい。母親に発達障害があって子どもに発達障害があるというのは、必ずしも生物学的な遺伝だけではないかもしれ…
心理的な意味での俊秀は、ヒトのパソナルナ領域に配慮もなくずかずかと入り込んでしまうこと。 親の子どもに対する過干渉も、子どものパーソナルな領域に入り込む侵襲と言える。侵襲を繰り返された子どもは自尊心や他者と境界がわからなくなる。
高齢の母は発達障害と思われ、コミュニケーションが苦手である。自分の事情をうまく説明することができないと同時に家族(私)は同じことを考えて感じていると思い込んでいる。介護の場面で不都合があるし、過去には子どもの心と体に傷を残す結果となってし…
マルトリートメント(不適切な養育)が脳の中のオキシトシン受容体の遺伝子をかえる。オキシトシンは妊娠、出産、授乳に関わるホルモンとしられてきたが、社会性や親密さ、寛容や優しさ、など、対人関係を円滑にする役割があることあがわかってきた。
「大人のADHD」は子どものADHDとは似ても似つかぬものであるということがわかってきた。こどものADHD は年齢を経ると落ち着いていくのに対し、大人のADHDと言われるものは、神経障害という点では軽くても、生きづらさという点ではずっと深刻だった。
愛してもらえなかった親の介護はできるか。同居を始めて母の言動の全貌がみえ、過去のトラウマ記憶をよみがえった。それは苦しいけれど、回復への道の第一歩であった。
母の感情のごみ箱のように感じてきた。 母の暴言タイムはどうやらすアスペルガー症候群特有の感情のメルトダウンのようだ。母の暴言は主語を子どもにすることで母の問題ではなく子どもの問題にすり替えられた。
老母が発達障害だとわかり、それをうけいれるまでに8年かかった。混乱と困惑の時期、距離をとって安定し始めた時期、発達障害であるとわかり、自分の回復を目指すようになる。
老母はありがとう、ごめんなさいを言えない。自分で何でもできると時はよいが、日常生活に助けが必要になった時に言えないと周囲との軋轢、トラブルが起きやすく、手助けを得られないこともある。 そんな母のもとに育った私は、幼い時にありがとう、ごめんな…
重ね着症候群とは種々の精神症状や行動障害の背景に発達障害が存在するという概念である。老母と暮らし始め、認知症の次に自己愛性パーソナリティ障害を疑った。
母はほどほどというようなあいまいな概念はわからない。話し言葉は李理解しづらく、文字や絵などの視覚情報のほうを理解しやすい。 母が長年、通っている教会には発達障害の母にとってなじみやすい要因があった。
発達障害の母は人の気持ちがよくわからないのと、臨機応変な対応ができないので、世間話が苦手である。 母はいつしか人の悪口や批判をコミュニケーション手段とするようになってしまった。当初は悪意や他意のない物言いだったのかもしれないが、発達障害とい…
軽度発達障害の人の中には、周囲にも本人にもその認識がなく、努力が空回りしたり、周囲との信頼関係が失われてしまっている人もいる。彼ら彼女らは「心身ともに疲れ切って自信をなくし、他のもっと重い障害を持っている人達よりもはるかに自尊心や自己肯定…
私は母の道具か?母とやり取りする時に自分が道具か母の手足のお湯に扱われていると感じることがある。アスペルガー症候群と診断された方の身体感覚や世界の見え方は興味深く、母の言動、いままでの私と母の関係を理解するヒントになる。
書店で気になって購入した本を読み、母が発達障害であることに気がついた。子供が必要とする共感など、心理的ケアの一切を母ら受けてこなかった。かなりの歳月を経てそれを知ったことは、自分という存在の根本が崩壊したような感覚であった。
母とコミュニケーションがとれないと感じるのは、会話する時の表情が乏しいことだ。声の抑揚、声色の変化もなく、手振り、身振りもない。普段、私たちが何気なくしているコミュニケーションにおいて、特に意識せずに暗黙の了解、共通認識を使っているようだ。
母の言動に認知症を疑うが、自閉症スペクトラムの特徴がみられることに気付く。大人の発達障害をよく聞くようになったが、割合や比率から言って老人の発達障害があってもおかしくない。