母が「発達障害」と気づいた時
ある本で母が発達障害と気づいた。
2年ほど前に、書店で何気なく手にとって読んだ本にこうあった。
母親は人間理解の浅い人だった。炊事・洗濯・掃除と子育ては一通りきちんとできていた。だから「ネグレクト」ではない。しかし、心理的ケアはできない母親であった。絵本を与えることはできるが、それを読み聞かせたり、子どもの感想を聞いてあげられない。ご飯を作ることはできるが、「美味しいかい?美香ちゃんはお肉が好きだね」と言ってあげられない。子どもが転んだ時抱き起すことはできるが、「おー痛かったね。よく我慢したね」と言わない。母親は娘を叱ったこともない。
心理的な交流がないと、子どもは自分が何が好きで、何が美味しくて、何をがまんしなければならないかが、わからないままに育つ。
「消えたい」 ー虐待された人の生き方から知る心の幸せー
高橋 和己 ちくま文庫
この箇所を読んで、母に絵本を読んでもらったことが一度もなかったことを思い出した。
「何かが好きだね」と言われたことも「痛かったね」と共感をしてもらったことも一度もなかったと思いだした。
こういう状態を著者は心理的ネグレクトと定義する。
また、愛着関係の欠如という。
愛着関係が成立しない要因にはいくつかあるが、その中で最も多いのは、虐待する母親・父親に何らかの精神的障害がある場合である。具体的には
①知的障害
②知的障害以外の発達障害があるタイプ
③重度の精神障害などである。
(途中略 知的障害は軽度~境界知能の領域である。中略
精神障害のうち、うつ病性障害はたとえ重度であっても虐待の原因とならない。虐待が起こるのは統合失調型人格障害などの場合である。)
親の発達障害・精神障害が原因で愛着関係を作る能力がないと、子どもの気持ちを読み取れず、子どもの痛みや寒さを感じ取れない。暴力をふるっても子の痛みを感じるブレーキが働かず、親の怒りのままの一方的で執拗な暴力となる。また障害ゆえに親は自分の感情のコントロールができず、ちょっとしたきっかけで容易に爆発し、執拗な暴言・暴力(身体的虐待・心理的虐待)にいたる。
老母と暮らし始めてからの疑問がとけた
子どもの時の記憶の中の母と再び暮らし始めてからの母の言動と様子の双方を照らし合わせて、母は発達障害だと考えるとすべての疑問が氷解した。
同時に教育や発達障害について学んでいたのに気づけなかったことにも愕然とした。
40年近く前と現在では発達障害についての知見も変化しているので、仕方のないことであるのだが。
また、今まで築いてきた人生はいったいなんだったのかと、自分という存在がぼろぼろと崩れ落ちたような感じもした。
まったく生命の気配を感じない荒涼とした砂漠のような広がりのなかに、自分だけがポツンとおかれているような気がした。
一人ポツンといるこの感覚は、子どもの時に何度も味わったものと同じだ。
心理学的に言えば、解離 離人感/現実感の消失にあたるだろう。
行き場のない感情と解離からの回復
今までの寂しさ、悲しさ、怒りは行き場がなくなった。
母が発達障害であるのは、母自身の責任ではない。
親としての在り方について、母に問うても答えるだけの力はない。
深くいろいろ考えるのはやめた。(考えられなかった)
家事をして、春夏秋は庭仕事をして、冬は雪かきと編み物をした。
身体を動かして、生活した。
以前から続けていた就寝前のヨガはほぼ毎日行った。(やれない日もあり)
そのうちに瞑想(マインドフルネス)も少し挑戦してみたりした。
顕在意識は気づかなくても、自分の潜在意識が回復しようと願ったような気がする。
そうこうしているうちに自分の存在がなくなってしまったわけでも、崩れ去ってしまったわけでも、独りぼっちなわけでもないとだんだん考えられるようになった。
とても時間はかかったのだが。