育つ環境と発達障害
赤ちゃんとお母さんの非言語コミュニケーション
赤ちゃんがお母さんに「ああ」と話しかけると、他の人にはわからないけれどお母さんには赤ちゃんの言いたいことがなんとなくわかる。
言葉にならない以前の感知、非言語的なコミュニケーションがある。
もちろん、ミルクをあげておむつも変えて、何をしてもダメ、困り果ててしまう時もあるし、体調が悪くて一晩中泣き続けることもある。
機嫌のよいと時の赤ちゃんの笑顔は最高で、微笑みあう時は幸せこの上ない。
赤ちゃんに「~~だから~でしょ」なんて言ってもそんなことはわからない。
けれど、赤ちゃんには赤ちゃんなりのコミュニケーションがあり、泣いて笑って、大人の表情を真似して「ぶぶ、バブバブ」などと喃語を話すようになる。
赤ちゃんの「ああ」「あっあっ」は同じ音でも、その時々の状況で違うこともある。
お母さんの方もお母さんの方で、その時によって赤ちゃんの言いたいことを違うように理解することもある。(出来ないときもある)
赤ちゃんの様子を細かく感知できない
発達障害を持つお母さんは、赤ちゃんの非言語的なコミュニケーションを細かく感知することは難しい。
母親に発達障害があって、子どもに発達障害があるというのは、必ずしも生物学的な遺伝だけではないかもしれない。
母親の感知能力の悪さがインプットされることによって、子どもの脳の発達もそのレベルにしか発達する機会しか与えられないという場合があるのではないか。
参考
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脳の可塑性とバイパス経路
私は変わった子で運動も苦手だったが、勉強はそこそこできた。
強制されて、成績が悪いのは許されなかったからに他ならないが・・・
母の数すくない親らしい美点の一つは、本を惜しまずたくさん買ってくれたことだ。
本を読むのが唯一の楽しみで、母のいない時に部屋の隅の日向にお菓子をもっていって、そこで本の世界に入り込んだ。
本の中で、大人たちは理屈の通る話し方をするし、物語のストーリーも突然ワケがわからなくなることはなかった。
子どもの気持ちを理解してくれる大人もいた。
子どもは自由に行動し、冒険して怒られることはあっても、大人の言うとおりにしてばかりというのではなく、また自由に振る舞った。
私はそんな世界に行きたい、そんな大人に出会いたいと願っていた。
母は、自分の与えられないものを本を通して与えてくれたのかもしれない。
全くKYだった私
母との会話は、会話にならず拒否と否定が 帰ってくることが多かったと思う。
TVを見ることも厳しくて、週に一度しか自分の好きな番組を見ることはできなかった。
それは中学生くらいまで続いていたのではないかと思う。
小学校の時は、ただでさえKYなのに、TVも見ていないから、さらに話が分からなかった。
私はみなと同じではないという疎外感、孤立感をずっと感じていた。
日本の学校教育はみな同じようにすることが求められることが多いが、家庭環境が違うのに皆同じというのはかなり無理があると思う。
それでもまだ、今より社会全体が寛容だった気がする。
そのおかげで私は完全なボッチや、いじめにあわないで済んだと思う。