母の家庭内コミュニケーションは悪口
余計な一言と悪口
言語の発達に遅れのないアスペルガー症候群の人の特性の一つとして、思った通りのことを正直に口にするというのがある。
悪口を本人の目の前で言ってしまったり、会話が落ち着いたときに言わなくても良いことを言ってしまったりもする。
本人には悪口を言っているつもりはなく、思いを表現しているだけで他意はないらしい。
けれどもそれを絶えず聞かされる方はたまらない。
母の様子は、人の容姿や行動の細かいところを常にあら探ししているように私には見えてしまった。
教会から帰ってきては教会の人の悪口、TVを見て出演している芸人の悪口をいう。
母の方は、ただコミュニケーションをはかろうとしているだけのことであるらしい。
外面と内面の違い
それでも、母は人生のどこかで、外では周囲に合わせること、面と向かって悪口を言わないことを誰かに教えられたのだろう。
家の外では、自分が一方的に話すことはある程度封印しているようで、周囲に合わせた物言いをして、お世辞に近いようなことも言えるようだ。
家の中の様子から比べると外では借りてきた猫のように私にはみえる。
小学生の頃から母に教会に連れていかれたが、教会での態度と家での態度の違いは、子どもの私を混乱に陥れるのには十分すぎた。
世間話の替わりに悪口を
その時々で話題や状況が変わる世間話は、相手の気持ちを敏感に察知できない母にはとても難しい。
それに比べ、誰かの容姿や行動への批評は、具体的に目に見えるものなので、母には話しやすい内容であろう。
当初、母の他人に対する物言いは、悪意のないもの、他意のないものであったのかもしれないが、発達障害の概念がなかった時代に、不幸な状況と結果を生み出すことになった。
母の悪口が招いた結果
母は会話の受け答えが上手にできているようで、内容や相手の気持ちを理解していないことが多い。
父の言うことを母は具体的なこと以外、ほとんど理解していなかっただろう。
家の中で父はよく苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
母とうまく話が通じない不満があったと思う。
いつの頃からか、父と母のコミュニケーションは、TVに登場する政治家やタレント、家に出入りする業者、近隣の人、自分たちの子どもの批評や悪口、中心になっていったようだ。
子どもの頃、父が母をどやしつけていた記憶がある。
経済的なことなど、家の事務的な作業はほとんど父が行っていたようだが、平日は仕事なので、母がやらなければならないこともあった。
母は応用がきかないので、父に言いつけられたことの何かを失敗したのかもしれない。
軍人上がりだからどやしつけ方はすさまじい。
どやしつけた後もねちねちと陸軍仕込みの説教をする。
そのどやしつけと説教をかわすために、母は子どもの話題を持ち出したのだろう。
子どもの状況を何か父に言いつける。
父のどやしつけと説教はこども、私か弟に向かう。
どやされている私をみる母の顔には、「ざまあみろ」「それみたことか」と描いてあった。
記憶にないが「たすかった」と描いてあった時もあったかもしれない。
最初は自分の窮状を救うためのトライであったのかもしれないが、それは母が父からの叱責を逃れるためと子どもの言動が気に食わない時の常套手段になっていったのだろう。
父のいないところで母は父の悪口も言っていた。
母のコミュニケーション手段=悪口によって家族の気持ちは、分断、分裂していった。
向き合うことの大切さ。
同居を始めた頃、母が娘の悪口を言いだした。
娘の悪口を一緒に言えば私と仲良くなれる(コミュニケーションがとれる)と思ったのかもしれない。
私は「そんなことはない、あの子はやさしい子だ。」と全く受け付けなかった。
それ以降、母は娘の悪口を言わなかった。
アスペルガー症候群と診断された藤家さんは「自閉っこ、こういう風にできてます!」の中でこう言っている。
藤家さんのおじいさまが「自分がされていやなことは人にしてはならない」と教えてくれた。そしてその言葉がずっと心に残っている。
だから、決して犯罪には走らなかったと。
自閉の人は律儀な面があるので一度、覚えたことはきちんと守る。
悪口は犯罪ではないし、だれしも気軽に口にしてしまう。
しかし、言葉によってできた心の傷が、人生に大きなダメージを与えてしまうこともある。
きちんと向き合い、真剣に伝えなければいけない時もある。