毒親(発達障害)と生きる

共感・肯定ゼロ 否定と操縦の子育てからの回復

ほどほどがわからない母 

規則や習慣を維持する

アスペルガー症候群の人は規則性や同一性にこだわりを持つことが多い。

母は20代のころから教会に通っているらしいが、90近くになった今でも毎日曜日にはほぼ絶対に教会に行く。

40代~60代の頃には一週間のうちに3,4日もあるいはそれ以上教会に行っていたようだ。

傍から見れば熱心なクリスチャンなのだが、その予定は絶対なので家族で旅行や外出の思い出は2,3の例外を除いてない。

その例外の思い出は母が気に入る教会が近くになかった時期だ。

 

教会活動にのめりこむ

父は単身赴任の時期も長かったが、家にいる時期の父は日曜日は一人で庭作業やDIYをしていた。

母子3人は教会と教会学校に行ってしまうからだ。

教会から戻って、不機嫌な父に話しかけてご機嫌をとろうとするのは私だった。

本当に気付いてもらいたかったのは、母なのだろう。

けれど、人の顔色や感情がよくわからない母は、父の気持ちがよくわからない。

 当初、近くの教会に行ってみたらどうかと勧めたのは父だったらしい。

子どもがおらず、交流する人がいない専業主婦の母を気遣って勧めたのだと思うが、ここまでのめりこむとは思っていなかっただろう。

興味や関心の幅が狭いのも自閉症スペクトラムの特徴だが、今考えればそうなるのも無理はないと思える。

教会活動にはまる理由

 具体的な教えが聖書に書かれている。

 母は話し言葉よりも視覚的な情報を理解しやすいので、聖書などの視覚的情報があるキリスト教は理解しやすい。

お経や講和など聴覚中心で哲学的要素を含む仏教は理解しづらい。

仏教周辺の暗黙の了解やしきたりは理解できない。

 

メンバーが固定化され、地域の共同体から遊離している

人に優しくありたいと思う人が中心なので、少々浮いた言動をしても多めに見られる。複雑な話題になっても、「祈りましょう」などの定型文句を言っておけば間違いない。

地域の生活の場面から離れているので、普段の生活態度は互いにほとんど知らない。

 

ほどほどがわからない

教会にのめりこむ母に父は「ほどほどにしろ」「そんなに教会が好きなら教会に住んで養ってもらえ」と言っていた。

けれど、「程度」という曖昧な概念は母にはわからない。

発達障害の母にしてみれば、父が教会を勧めてくれたのに今になって、なぜ「行くな」みたいなことを言うのかわからないともなる。

母の考え方は直線的で応用や柔軟性がない。

父にいくら言われても教会に頻繁に行くし、子どもたちが教会学校に行くのも当然だった。

家にいれば父に文句を言われるが、教会に行けば優しくしてくれる人がいる。

母にとって、父はよく怒鳴ったり文句を言う人という認識だったのだろう。

 

骨折で覚える

4年前の元旦だったと思うが、母が肩を骨折した。

元旦の朝、教会に向かう途中で凍結した横断歩道を渡っていて転倒したらしい。

痛みに鈍いところがあるので、病院に行ったのは2週間くらい後だ。

手術・リハビリとなったので、これを機に要支援認定をしてデイサービスに通うようにした。

以後、体調が悪い時や悪天の日は日曜礼拝を休むようになった。

 

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