毒親(発達障害)と生きる

共感・肯定ゼロ 否定と操縦の子育てからの回復

毒親(発達障害)の介護は自分のため?

 愛してくれなかった親の介護はできるか

前の記事で

自分は親にかまってもらえなかった、愛されてもいなかったのに、どうして自分の子どもに配慮をし、愛情をかけなければいけないのかわからないという人がいる 

スマホをおいて、ぼくをハグして!」 から引用した。

私がたどりついた答えは、子どもを愛するのは自分のため である。

 

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 では、介護はどうだろうか。

甘えることは許されず、否定され、罵られ、気持ちを理解しようともしてくれず、友人づきあいや外出も制限され、言う通りにしないと感情的にわめいて自分の命令を押し通してきた母親。

その母親を介護することは、私に何をもたらすだろう。

 

母と同居のきっかけは外面対応

母がとても狭い考えの持ち主であるということはわかっていた。

実家を出てから25年、子どもが小さい時は行き来はあったが、その後は何年かに数日会うか会わないかという感じだった。

父が亡くなった時、今後、一人暮らしをするか私と暮らすかを母に選んでもらった。

この時の親族会議は外面対応だった。

私は「母もずいぶん丸くなったものだ、一緒に暮らして大丈夫。」と思ってしまった。

同居を始めたら、今までやっていた家事は全て放り出し、上げ膳据え膳、家の中では悪口と見下し発言三昧、教会や宅配、近所の人の前では、愛想よくふるまい、自分の立場が悪くなると平気でうそをつき、いい人ぶるウソ泣きまでする。

私は母の理解不能な言動の数々と普通の会話が成立しないことに戸惑い、呆れ、憤った。

 

自分の過去のトラウマの存在に気付く

そんな母の日々の言動を見るにつけ、よみがえる過去の記憶。

うけてきた数々のトラウマを思い出すきっかけとなった。

母の言動は認知症などの老いのためではなく、昔からこういう人だったと気づいた。

 

恋愛、子育てなど、人生の課題に直面する時期には、トラウマの症状が強く現れがち、冷凍されたまま解凍されることがなかったトラウマ記憶が、初めて溶け出すこともあります。

 

トラウマの記憶は長く残るものの、自分ではトラウマの存在に気付きにくいこともあります。特に子ども時代にできた傷には、傷をつくるような体験が特別なことと思っていなかったり、記憶がなかったりすることすらあります。思春期以降、大人になってから初めて自分の悩みとトラウマの存在がつながる場面も少なくありません。

症状が強まるのは苦しいことですが、トラウマの影響によるものだと気づくきっかけにもなります。その気づきは回復への大きな一歩です。

 

    「トラウマのことがわかる本」P48  白川美也子 より

 

気づきは回復への大きな一歩

恋愛や介護で過去の傷がよみがえるとあるが、私の場合は同居(介護)であった。

厳しく融通のきかない親だとは思ってきたが、PTSDになるほどのマルトリートメント(不適切な養育)を受けてきたとは思っていなかった。

気づくまでにずいぶんと長い時間がかかってしまったが、回復への大きな一歩だった

というのは実感している。

私は人付き合いが離婚後(40歳ごろから)急速に苦手、億劫と感じるようになった。

過去のトラウマや愛着の問題が複雑に絡み合い、人生に大きな影響を及ぼしていたと、今はわかる。

 不安より受容と楽観

今、自分の人生も母の介護も楽観的にとらえられるようになった。

自分を大切にすることも、ようやく本当の意味でわかった気がする。

母は90だが、残る人生をそれなりに生きればいい。

母のためにやってあげてもいいと私が考えることはやる。

できないと思うことは、外部に助けを求める。

私が母の人生を背負い込む必要は全くない。

 

 

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