恐怖麻痺反射と生きづらさ
恐怖麻痺反射
恐怖麻痺反射とは、受胎後5週目くらいに機能し始める反射。
受胎後5週目くらいの胎児は、心臓や肺ができ機能し始めるが、まだ、脳と身体の神経がつながっていない状態。
この時期に母親がストレスを受けても、首、肩、体を固めてストレスの悪影響から自分の身を守る。
通常は、母親の胎内から出てくるまえに統合され、この原始反射を卒業する。
けれど、何らかの理由により、この反射が出生後も残存している場合、生きづらさなどにつながる可能性がある。
恐怖麻痺反射が残存すると
出生後も恐怖麻痺反射があると、呼吸や筋肉、特に背面の肩、背中、ふくらはぎを固める。
常に背面の筋肉が硬く、視覚や動眼神経の発達が未熟になる。
性格面では、引っ込み思案、新しい状況や場所が苦手、いつもと違う状況を嫌がることもある、
また、恐怖麻痺反射を保持していると、過敏傾向があるために、人混みを嫌う、車に酔いやすいなど、様々な感覚過敏を持つこともある。
恐怖麻痺反射が保持された状態は、多くの発達障害の方の実像と重なる。
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私の背中の凝り
私は20代まで背中がガチガチに硬かった。
それに自分で気づけたのは、養護学校勤務時代に研修に参加した時だった。
その後、自分なりに食事、生活、体を動かす(畑、庭、気功等)に取り組んで、40代ごろ、生きていて今が一番、健康で楽だと思えた。
それでもなお、過敏さは残っている。
私は動くこと、運動は好きだったが、運動神経があまりよろしくなかったのは、原始反射が残存していたからだと思う。
運動が苦手なのに、必死に何かをやってきたのは、直感による生き残りのための私なりのセラピーだったのかもしれない。
愛着の発達段階 胎児期からの育て直し
愛着関係の発達ピラミッド
愛着についてはこのブログで何度か取り上げているが、愛着関係を築く能力にも発達段階があるようだ。
例えば、自転車に乗る練習をしようとする。
いきなり、片方の手を放してバランスを取りながらカーブを描いて進むなんてことはできない。
補助輪のついた足が届く自転車で、バランスをとりながらペダルをこいで、まっすぐ進む練習をする。
まっすぐ進めるようになったら、早く、ゆっくり、曲がる、などの練習をする。
心配なくなったら補助輪をとる。
乗っているうちにだんだんうまくなって、片手でも操作できるようになる。
(安全のためにはおすすめはしないが)
何が言いたいのかと言うと愛着関係を築く能力も段階を追って発達していくということだ。
愛着関係の土台は胎児期から
上の図のピラミッドの一番下に胎児期があるのに気づいただろうか?
今までの発達心理学は生後から始まるが、この図は胎児期が一番の土台になっている。
臨床の現場では、愛着の問題を持つ子供には育て直しが必要であることは知られている。
どこまでさかのぼって育てなおすかを考えた時、胎内の時期から育て直しが必要な人がいるということがわかってきた。
それは、胎児性の愛着障害や、原始反射の恐怖麻痺反射がある人だ。
次回は、胎児性の愛着障害、原始反射の恐怖麻痺反射 について
愛着障害は当たり前だった・・・
愛着障害が当たり前だった
最近、読んだ本にこう書いてあった。
「愛着障害で当たり前だった」だった時代が続きました。
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愛着障害で当たり前・・・
私も実は、愛着障害を知ってから、ひと昔前は愛着障害がある人がほとんどだったのではと考えていた。
江戸時代には、子は親の所有物で家族が生きるために、身売りされることや奉公先で使役されることも当たり前だった。
今でいう人身売買や児童労働である。
明治になってからは、武士の家の概念が、国民全体にに適用され、家の存続が重視されるようになった。
家父長制である。
家族は家長に従い、女性は従順であるように求められ、親に従い、結婚すれば夫に従い、老いれば子に従うことが美徳だった。
男子も複数いれば長子は跡取りと大事にされるが、次男、三男は単なる働き手と扱われることが多かった。
このような家族制度のもとでは、主体性を獲得する必要もなく、むしろ主体性は邪魔で、愛着障害がある方が生きやすかったといえる。
歴史の中の愛着障害
目を転じれば、歴史の中で人を家畜のように見なす奴隷制度も長く続いた。(現代ももある?)
人権侵害を受けて当たり前、の時代には「誰かの顔色を伺い、自分らしさを殺す」のは悲しいけれど、有効なサバイバルスキルでした。
けれども今はそれはもう通じません。
そのことに気付いていない人が多いのかもしれません。
子どもの時代もそうでしょうし、親の世代もまた、前時代をひきずっていると、子どもをペット化しようとして時代遅れの感性で時代についていけない子どもを育ててしまいますね。
現代になって、家畜のように人を扱う場面はぐっと減っても、今度は親による「ペット化」に大人になっても悩まされ、精神を病んでいる人も多いでしょう。
「こうなってほしい」
という親の願望が狭すぎたり、強すぎたり、あるは子ども側が真に受けすぎた人たち。豊かなおうちや豊かな時代など、豊かさから生まれる愛着障害もありそうですね。
「愛着障害は治りますか」より
時代の転換期
老いた母親と暮らし始め、一番に感じたことは、ものの見方や考えかたが全然変わっていない、不自然なほどにアップデートされていないということだった。
父に亡くなる前に会えば、父もそうだったのかもしれない。
パソコンや携帯は使えるようになっていたし、教会に行って若い人とも交流があるから、それなりに時代についていっているのではないかと勝手に想像していたが、そんなことはなかった。
話していると時間の流れが逆流し、時空が歪んで過去に戻されるような感覚になる時もあった。
子どものペット化
両親によって、極度に危険につながりそうなことから遠ざけられ、囲い込まれ、過剰に守られ過ぎて、指示通りに動かされた結果、私は成長する体験の多くの機会を奪われてきたと感じる。
けれど、社会に出て行ったとき、ペットのままでは生きていけない。
自分で考え、選択し、行動をする力が育っていなければ、たちまち窮地に陥る。
10年くらい前だとおもうが、通り過ぎのブログで、動物園(家庭)で餌を毎日もらっていたのに、突然、何の訓練もなく、野生の自然界に放たれたというような意味のことが書かれていたのを記憶している。
それを読んだその書いた方の気持ちが痛いほどわかった。
姿は大人なのに、それに見合うだけの生き抜く力が育っていない。
親も子のそんな姿を見て、こんなはずではなかったと思ったかもしれない。
親が気づかないうちに、社会や世間のありようは変化していったのだ。
目上の人や権威のある人の言うことだけを聞いて従うだけでは通用しない時代へと、変わっていった。
そして何よりも、子ども(私)本人が、誰かに従って忖度する人生なんてまっぴらごめんと感じていたことに、両親は気づいてはいなかった。
*次回、愛着障害を克服していくヒントを書きたいと思っています。
お知らせ
新しいブログをはじめました。
本ブログは本からの引用が多くて、少々固い内容の記事が多いのですが、
こちらのブログは、私の感情を中心に書いています。
育ちの中の無数ののトラウマのために、感情を素直に感じることを自ら止めてきました。
そのために過去の事柄も自分の感情ではなく、状況説明や相手や外側の事柄に対する判断・ジャッジメントで語っていました。
少しずつですが、素直な自分の感情を表現することができるようになってきました。
このブログを書いてきたことは無駄なことではなく、自分を癒していくプロセスとしてとても意味のある事だったと思います。
本を読むこと、知識を得ていくことは好きなので、こちらのブログも更新頻度は落ちるかもしれませんが、書き続けようと思います。
ブログを終えるわけではありませんが、読んでくださった方に心より感謝いたします。
母のペルソナ(仮面)と私の解離
母のペルソナ(仮面)
老いた母と暮らし始め、私が思っていた母と違うことに気づいたことは過去に書いてきたが、また新しい側面が見えてきた。
老いた母の言動が理解できなくて、最初は認知症を疑い、次は自己愛性人格障害を疑った。
そしてその奥に見えてきたのは発達障害だった。
母は人の気持ちを察することが苦手なので、軽い世間話やテンポの良い会話ができない。
母のコミュニケーションにおけるサバイバル戦略は,表面的に同意すること、教会に熱心に通ってクリスチャンという人格者を演じることだったと思う。
それは母の本当の姿ではなく仮面、演じた姿。
母はその仮面が本当の自分の姿であると思い込んでいたと思う。
母が好き好んで人格障害のような症状に陥ったわけではないと思う。
なんとか周囲とうまくやっていくために身に着けた手段だった。
人の気持ちや意図がよくわからない母は、何かをしろと父や他の人に言われてもよくわからなかったり、頓珍漢なことをしたと思う。
父は男が命令し威張って指図するのが当然の家庭に育ったので、命令が遂行されないことに腹をたて怒鳴る。
母はあたふたする、恐い、どうしていいかわからない・・・
母が見つけた自分を守る方法は、「自分はクリスチャンで素晴らしいのに、すぐ怒鳴る父が悪い」と父を心の中で見下すことではないだろうか。
実家で食事をするときに食事の前に母は感謝の祈りをささげる。
小学生の頃は一緒に祈らされ、当番もあった。
父が一緒の食卓で母が祈り、子どもである私たちも祈る。
なんとも嫌な感じがして、食事が美味しく感じられなかった。
その嫌な感じの原因は、その祈りが純粋な神への感謝ではなく、母の父に対する「私はクリスチャンで素晴らしい。」という誇示と父に対する防衛の気持ちが含まれていたからではないかと、今は思う。
家族の中で自分が誰よりも優れていると思い込むことで、何とか生きてきたのだと思う。
私の解離
母が自分の仮面を真の自己と思い込んでいたのと同じように、私も母の仮面を真の母と誤解していた。
母が演じる「思いやりがあって親切で朗らかなクリスチャン」というペルソナを母だと思い込んで生きてきた。
その誤解と思い込みの根はかなり深い(胎児や乳児の時)から始まっていると思う。
仮面をかぶっていない時の母に罵られ、憎しみや怒りの感情をぶつけられる時、私は解離という手段をとった。
自分を分断し、悲しみ、怒りや寂しさという感情をシャットダウンし生きてきた。
母の悪口、憎しみ、嫉妬深いところを意識的に見ないようにしてきたと思う。
そうしていつの間にか母の仮面に自ら取り込まれていったようにも思う。
何かがおかしいと思いつつ、それがわからない。
顕在意識では感じなかったが、様々な体調不良に陥った。
進学、就職、結婚、母から離れていくにつれて、やっと私は少しずつ自分らしさを発揮して生きられるようになっていった。
けれど、根本的なところを理解していなかったので、ずいぶん迷い、彷徨った。
「発達障害者は発達する」
「焼酎風呂」
最近、神田橋先生の本を読みはじめた。
先生は、診断をつけて薬を出すだけのiいわゆる精神科医というイメージとは違うかただ。患者さんが治るために漢方薬・Oリングテスト・整体・様々な養生法を取り入れている。
(現在はご高齢で鹿児島の病院で週に2日、診察なさっている。)
先月くらいから、先生の養生法の一つ、「焼酎風呂」なるものを試している。
私の場合は焼酎ではなく、家にズブロッカがあったのでそれを使っている。
「イライラ解消・不眠改善に」
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私の場合は、風呂上りにすっきりした感があり、翌日もすっきり起きられた。
先生は「気持ちが悪い」と感じたらやめること、気持ちいいと思うことをやればよいと言われる。
発達障害者は発達する
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この本の中で、「発達障害者は発達します」と先生は言われる。
本の前書きの中で、当事者たちも支援者もこの言葉にみな感動したとある。
私も深い感慨をもってこの言葉を噛みしめ、そして味わった。
そのことは後で書くことにして、この本の概要を記しておこう。
1 発達障害者は発達する。
そして
2 2次障害は治せる。
そして
3 誤った治療による三次障害を阻止しなくてはならない。
そもそも
4治療なき診断はただの粗探し。にすぎない。だって
5患者の状態を少しでもよくするのが治療者の義務。
だろう。でも治療にあたるのは医療者だけでなく、
6当事者や家族が自分で、安価に、自宅でできる療育・養生のコツを考案するのも治療者の仕事。
「目の前にいる人をなんとか、少しでもラクにするのが医者の仕事」と言い切る。
発達障害って何?
神田橋先生の発達障害のとらえ方
発達障害とは、脳にシナプスの発育の遅れがあるということです。
シナプスの結合ミスが起きているということらしいです。どこがどのくらい遅れているでいろいろ表現方法は変わってくるのでしょう。だから症状は千人千通り。しかも一般の人との間にきれいな連続性がある。それは当然のことなんです。そして、うれしいね、脳には可塑性があるというエビデンスがどんどん出てきているでしょう。
だって長嶋さんが、歩けるようになっているもんなあ、しゃべったりさあ。オシムさんだって今またサッカーの論評したりしているでしょう。なのにどうして治らんと言えるのかねえ。
岩永
最近、運動することによって神経細胞を育てるのに役立つ栄養因子が増えるとか
脳の可塑性
話がかみ合わなかった90過ぎの母と話が通じるときがあって、最近とてもびっくりした。
以前は何を言っても否定や批判、明後日の方の返事だったのに。
え~90過ぎたお婆さんにそんなこと起きるの?と思われるかもしれない。
神田橋 すごいのわね、高齢者の認知症の病棟にいる知的障害の人が病棟を仕切っている。どんどん頭良くなっているからね。で、人を助けたり、車いす押したりしてね。「だよ、そんなことしちゃ」とか注意したりしてね。そうするとだんだんせいしんじょうたいがよくなるんだね。役に立つ人になったんだからね。
頭のいい人はボケるけれど、もともと知的に障害のある人は老人になってもボケないね。
母の変化の理由は、週に一度通う、リハビリの効果かもしれない。
過去、散歩を含めて母が自分から運動するところを見たことがない。
これほど(5~6年)という長い期間、週に一度、一定量の運動するというのは、人生で初めてだと思う。
あともう一つ考えられる要素は、安心&安全な環境 だと思う。
誰にもペースを邪魔されずに、自分のことだけを自分でやる生活になってから、同じように5,6年経った。
そして、最後に私が母のありのままの姿受け入れ、母のペースでやれる部分を尊重し、常識的に考えられる親の役割を押し付けなくなったこと。
25年ほど前に私の関わる鍾愛を持った方々は、今のASD・ADHD・LDのようなタイプの障害ではなく、知的、身体的に外側からその障害の状態がはっきりとわかる人たちだった。
そういう彼ら彼女らも、彼ら彼女らのペースで、ゆっくりと発達していた。
そのことは日々実感していた。
その発達のさまを感じることが、当時は何よりの喜びだった。
「発達障害者は発達する。」
そして一般の人と連続性がある。
こう神田橋先生はそうおっしゃる。
みんな発達障害 とも言われる。
つまり、脳のシナプスの発育の遅れ、シナプスの結合ミスはみなに起こりうる。
脳には可塑性があるから、遅れはゆっくりと発達していくし、結合ミスは何らかの代替方法≒バイパスを通して補っている。
発達障害と分類されない人の脳もどこかに不具合がある可能性があり、不具合があっても何らかの方法で補っている可能性があるということだろう。
なるほどな~と思う。
リンゴやミカン、トマトの様子を思い浮かべてほしい。
リンゴ・ミカン・トマトとう特性は備えているけれど、きっちりと細部にまで同じ形のものなど存在しない。
ほうれん草、スイカ、ジャガイモ、なんだってそうだ。
犬や猫も、みな個性がある。
そうして、土壌・気候・環境によって違うものが現れてくるのではないだろうか?
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育つ環境と発達障害
赤ちゃんとお母さんの非言語コミュニケーション
赤ちゃんがお母さんに「ああ」と話しかけると、他の人にはわからないけれどお母さんには赤ちゃんの言いたいことがなんとなくわかる。
言葉にならない以前の感知、非言語的なコミュニケーションがある。
もちろん、ミルクをあげておむつも変えて、何をしてもダメ、困り果ててしまう時もあるし、体調が悪くて一晩中泣き続けることもある。
機嫌のよいと時の赤ちゃんの笑顔は最高で、微笑みあう時は幸せこの上ない。
赤ちゃんに「~~だから~でしょ」なんて言ってもそんなことはわからない。
けれど、赤ちゃんには赤ちゃんなりのコミュニケーションがあり、泣いて笑って、大人の表情を真似して「ぶぶ、バブバブ」などと喃語を話すようになる。
赤ちゃんの「ああ」「あっあっ」は同じ音でも、その時々の状況で違うこともある。
お母さんの方もお母さんの方で、その時によって赤ちゃんの言いたいことを違うように理解することもある。(出来ないときもある)
赤ちゃんの様子を細かく感知できない
発達障害を持つお母さんは、赤ちゃんの非言語的なコミュニケーションを細かく感知することは難しい。
母親に発達障害があって、子どもに発達障害があるというのは、必ずしも生物学的な遺伝だけではないかもしれない。
母親の感知能力の悪さがインプットされることによって、子どもの脳の発達もそのレベルにしか発達する機会しか与えられないという場合があるのではないか。
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脳の可塑性とバイパス経路
私は変わった子で運動も苦手だったが、勉強はそこそこできた。
強制されて、成績が悪いのは許されなかったからに他ならないが・・・
母の数すくない親らしい美点の一つは、本を惜しまずたくさん買ってくれたことだ。
本を読むのが唯一の楽しみで、母のいない時に部屋の隅の日向にお菓子をもっていって、そこで本の世界に入り込んだ。
本の中で、大人たちは理屈の通る話し方をするし、物語のストーリーも突然ワケがわからなくなることはなかった。
子どもの気持ちを理解してくれる大人もいた。
子どもは自由に行動し、冒険して怒られることはあっても、大人の言うとおりにしてばかりというのではなく、また自由に振る舞った。
私はそんな世界に行きたい、そんな大人に出会いたいと願っていた。
母は、自分の与えられないものを本を通して与えてくれたのかもしれない。
全くKYだった私
母との会話は、会話にならず拒否と否定が 帰ってくることが多かったと思う。
TVを見ることも厳しくて、週に一度しか自分の好きな番組を見ることはできなかった。
それは中学生くらいまで続いていたのではないかと思う。
小学校の時は、ただでさえKYなのに、TVも見ていないから、さらに話が分からなかった。
私はみなと同じではないという疎外感、孤立感をずっと感じていた。
日本の学校教育はみな同じようにすることが求められることが多いが、家庭環境が違うのに皆同じというのはかなり無理があると思う。
それでもまだ、今より社会全体が寛容だった気がする。
そのおかげで私は完全なボッチや、いじめにあわないで済んだと思う。