毒親(発達障害)と生きる

共感・肯定ゼロ 否定と操縦の子育てからの回復

ストレスとトラウマの違い

 

ストレスとトラウマの違い

ストレス

ストレスのもとになるものがなくなれば心の状態は元にもどる。

心には多少のストレスは跳ね返す力がある。

この回復力をレジリエンスといい、レジリエンスが十分に働き、心の状態が元に戻ればストレスの原因となった体験は思い出の一つとなる。

自分を成長させてくれるよい思い出となることもあるし、嫌な思い出のままでも、現在の心の働きが損なわれることはない。

 

トラウマ

ストレスのある状況がなくなってもその影響が残り続ける。

心に限度を超えた力が加われば、心の状態は元に戻らなくなる。

体験そのものは終わっていても、心の状態は体験時のまま固まってしまっている。

嫌な出来事を繰り返し体験し、誰もそれに気づいてくれない場合、

心も体も未発達な子どもの場合、トラウマが残りやすい。

 

 

下記の図  「トラウマのことがわかる本」 白川美也子 講談社 より

心の状態をバネに例えてストレスとトラウマを説明している。

 

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ストレスとトラウマの違い 「トラウマのことがわかる本」 P36,37

 

 

心の回復力が十分機能しなかった自分 

おおよそ人生では、進学、就職、転職、仕事上の人間関係、転居、結婚、子供の誕生、入学、子どもの進学、離婚、などの変化や転機がある。

安定的な愛着で育った、心の回復力がある人は、その変化や転機に大変だな~と思いながらもなんとかやっていける人の方が多いと推測する。

安定的な愛着で育った人は、成長する過程で母親(他養育者)という安全基地を体験している。

困難や驚きなどの危機的な状況に陥っても、安心できる場所に戻ることができるという経験を幼いうちから繰り返し、学習している。

その過程で、人や自分自身・社会に対する信頼感も養われているので、多少の困難に関しては、回復力も十分に働かせることができるだろう。

人に助けを求めることや、人を助けることに躊躇が少ないと思われる。

 

自分の周りにいた友人や知り合いが大変だと状況を愚痴りながらも、なんとかやっていくのには、そういう背景があったのか・・・とこの年齢になって気づいた。

私はうまくいっている時は目立つことはあまりないのだが、少しの変化や他人の言動を深読みしすぎて不安になり、妙に攻撃的な態度になったり、そのせいで孤立し、挙句に何もかも捨て逃げ出し、結果として一人の環境を選んできた。

 

 私は身体的虐待や性的な虐待、一般的なネグレクトはうけてこなかった。

けれども家は安心で安全な場所ではなく、心理的・精神的なネグレクト・精神的虐待が日常的にあった。

具体的には、一方的に責められる・人格否定・罵り・兄弟差別・理由のないヒステリックな怒り・からかい・嘲笑と教育的な虐待がいつもあり、認める、慰める、誉める、励ますなどのポジティブな養育はなかった。

命にかかわるような大きなトラウマはなかったけれど、日常的な暴言によるトラウマを無数に抱えてきた。

一つ一つの傷は小さいかもしれないけれども、幼い頃から繰り返して受けた無数のトラウマのために私は、多人数の中で通用するほどのレジリエンスを持てていなかったのではないか。

この年齢になってそのことに気付いて、いささか衝撃を受けた。

しかし、ー自分が悪いわけではなかった・自分に欠陥があったわけではなかったーと深く理解できたのは収穫である。

 

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アイスバーグ

 

 

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