母(発達障害)のサバイバル戦略 受動と積極奇異
母は外面は受動型 内面は積極奇異型のようにふるまう
アスペルガー症候群は、ヒトとのかかわり方で4つに分類されるらしい。
受動型・積極奇異型・孤立型・形式ばった大仰な型 の4つ
母の外での様子は受動型アスペルガーの特徴に一致する。
家庭内、または教会の距離が近い人の間では積極奇異型のようにふるまう
受動型アスペルガー の特徴
・何をするのも受け身的
・感情表現が苦手(表情が乏しい)
いつもニコニコしていることも
・困っているけどわかってもらえない
・自分の気持ちを伝えられない
・自分から人と関わるのが苦手
・外へ出かけるのは好きではない
・人との距離感が遠い
・「NO」と言えず、ヒトの言いなりになりやすい
積極奇異型の特徴
・感情表現が大げさ(母の場合はげらげら笑いか無表情な怒り、悲しい、寂しいなどの感情表現はほとんどない)
・カッとしやすい
・自分が興味のあることに積極的(母の場合、教会活動)
・自分の興味がないことには無関心 (家族の感情や事情には無関心)
・自己中心的に見える
・協力や妥協は苦手
・攻撃的・衝動的な行動が多い
・行動力がある(母の場合、教会に関することにおいて)
・思ったことを一方的に言ってしまう
・人との距離感が近いといわれる (母の場合、子どもを独立した人格ではなく自分の所有物をのように扱う。 教会でも親しくなった年下の女性には侵害的な態度をとっていたと推測される。)
参考 「よくわかる女性のアスペルガー症候群」 司馬理英子 より
母はどの型に分類されるというより、場面に応じて母なりのサバイバル戦略をとっているのではないかと思う。
外ではニコニコして受け身的に振る舞い、「そうね」といったり、同意するような相槌をうつ。
けれど内容がわかって同意しているようではないようで、帰ってきてから悪口を言うところを見ると無理して合わせているらしい。
外ではともかく同意しておけばよいと考えているようだ。
家では、私は母に同意されたり、相槌を打ってもらったことはない。
ほぼ全否定、こちらの方が母の本音に近いと思う。
例外的にそうよそうよと同意するのは、誰かの否定や批判、悪口などを言った時である。
(これは私の性格形成にものすごく悪影響を与えたが、この部分についてはまた別記事で書くことにする。)
知らない場所でおどおどする母
母と一緒に暮らし始めて、手続きのために役所や郵便局、銀行などに行くことが何回かあった。
そういう場所で母はかなり緊張するようだ。
借りてきた猫のようにおとなしく、ハイハイと物わかりが良い態度をとっているが、実はよくわかっていないことも多い。
これは想像だが、そういう場所で頓珍漢な受け答えをしてトラウマになった経験があると思う。
今でこそ役所や銀行や郵便局もサービス精神で応対してくれる場所だが、昔は職員が上から目線で威張っている場所だったので、嫌な記憶があるのではないかと思う。
ある時、母と郵便局に何らかの手続きで行った時のことである。
書類を提出して母一人が窓口にいるときに、わざわざ奥から出てきて母にあれこれ指摘して威張り散らす中年男性の職員がいた。
私は別の要件で手が離せなかったのですぐに傍には行けなかった。
終わり次第、私が行ってその男性職員を睨みつけた。
私の対応をしてくれていた若い方の男性職員さんが空気を読んでフォローにはいり、なんだかんだとイチャモンつけていた中年男性は奥に引っ込んでいった。
母の対応で私は困り果てていた時期だったが、それとこれは別の問題だ。
ストレスは弱い方へ
世の中には、自分より弱そうな相手を見て威嚇したり、嫌がらせをする人間がいる。
その人も何らかのストレスを抱えていて、八つ当たりしているだけと思う。
けれど、逆らえそうもない弱い立場の人を狙ってするので、受けた方はかなりダメージをうける。
そのストレスはさらに弱い方へ、逃れられない方へとはけ口を求めることもある。
自分が何にストレスを感じたかもよく認識しないまま、母はストレスを家族に向ける。
一番ストレスを向けやすいのは、逃れられない立場にいる子どもだ。
親に養ってもらわなければ生きていけない子どもは、どんなに理不尽であってもそれを受け入れることになってしまう。
虐待を受けた子どもが、大人や社会や世の中に嫌悪感や不信感を抱きがちになるのは当然のことだろう。
そういう経験を嫌というほどしてきているのだから。
私は可愛げのない、生意気な子どもだった。
親が外の世界で目上の人にはヘコヘコとご機嫌取りをして、家の中で子どもに偉そうに威張り散らすのが、本当に嫌で嫌でたまらなくて許せなかった。
社会的な場面で、形式ばったり敵対的なコミュニケーションではなく、思いやりと温かい態度に満ちたコミュニケーションを両親はできなかった。
経験できなかったこともあるだろうし、戦争、戦争時の教育、親や社会の大人たちのとの関わりでのトラウマもあると思う。
戦時中の教育は、平和的で調和的なコミュニケーションは必要ではなく、どちらかと言えば軟弱であるという認識でしかなかったと想像する。