毒親(発達障害)と生きる

共感・肯定ゼロ 否定と操縦の子育てからの回復

トラウマ的絆 親子の傷つき  

 

親も子も心が傷ついている

令和2年の初めの記事もこの本からの引用で始める。

 

この本の終盤にある杉山登志朗氏と友田明美氏の対談より。

 

友田 親も子も心が傷ついて、全身でSOSを発しているー。これはいったいどういうことなのだろうか、と最初は思いました。それにどの親子も判で押したように同じような症状が現れているのです。

杉山 そうですね。受診に来る親子の関係には、「パターン」があるように感じますね。親の話を聞き、そのまた親の世代までさかのぼって「育ち」の歴史を見ていくと、多くの場合、暴力やネグレクトが受け継がれてきているんです。

友田 杉山先生は以前から、「親子並行治療」の重要性を訴えていらっしゃいますね。それにわたしも強く共感し、子どもの診療を行う際は、親だけでなく祖父母世代にまでさかのぼって家族の世代間ヒストリーを丁寧に聞き取るようにしています。想像以上にマルトリートメントの経験者が多いのは事実です。

杉山 子どもだけでなく親の側も、自らの親との歪んだ関係から生じた思いトラウマを抱えているんですね。

友田 臨床の現場では、「親子」しか見ていませんが、同じようなトラウマを抱え、生きづらさを感じたまま社会生活を送っている人たちは、相当数いるのではないでしょうか。

 

親の世代もまたその親に受けたマルトリートメントで傷ついている。

こういう世代間連鎖というか、負の流れみたいなものに20代後半ごろから薄々気が付いていたような気がする。

けれど、それを言葉にして説明する概念をまるで持っていなかった。

母方の祖母は表情に乏しく、冷たい印象のする人だった。

祖父には、たくさん遊んでもらった記憶があるが、祖母には優しい言葉一つかけてもらった記憶もない。

 

 戦争とトラウマ

杉山 今の子どもたちのさらに親世代の、さらに親世代というと「団塊の世代」と重なります。最近「老人暴力」が問題になっていますが、興味深いことに、10年から20年前ぐらいには、中年の暴力が問題になっていたんです。もう少し前になると、若者が結構暴力的だということになっていて、その前というと、1970年代安保などで学生がストリートファイトをしていた時代になる。つまり団塊世代の一部はずっと荒れているという見方ができるんです。

(中略)

では、団塊の世代はなぜこんなに荒れているんだろうと考えると「戦争」に行き着く。

私たちの父親世代は、戦争に行っています。戦争のトラウマを抱えた親に育てられた結果、様々な「問題」を親から引き継いでしまった可能性があります。

友田  もちろんすべての人ではりませんが、団塊世代の一部は、心が傷ついた親たちからマルトリートメントを受けて育ち、今度は、それが彼らのトラウマとなって表出しているというわけですね。

 

 

PTSD心的外傷後ストレス障害)の概念が作られるきかっけにになったのは、戦争である。

私がPTSDを知ったのは、湾岸戦争(1990年)の帰還兵の精神状態に関する記事や報道に触れた時だった。

その時、太平洋戦争末期に戦争に行った父、戦争中に子ども~思春期を過ごした両親、戦争に向かう時期、戦争の真っただ中を過ごした祖父母のPTSDはいったいどうなっているのか・・・・とその時、疑問に思った。

その時の疑問は自分の中でくすぶり続けていたが、30年近く経過してやっと、答えを見つけることができた。

両親はやはり戦争によるトラウマを負っていた。おそらく父方、母方の祖父母も

それをやっと精神科医が公式に発言してくれた。

 

トラウマ的絆

 

友田 「80年代から90年代がベトナム戦争湾岸戦争のトラウマを抱えた人たちが父親となり、家庭の中でいつも暴力の火種を抱えていたということでしょうか。」

杉山 「暴力というのは何もないところからは生まれません。必ず「火元」があります。」

友田「そうやって親から暴力を受けて育った「被害者」は、今度は自分が加害者となって弱い立場の者たちに暴力をふるうようになってしまう。もちろん、すべての人が負の連鎖を起こすわけではありません。「自分は子どもにはそういうことはしない」と強い決意をもって子育てしている人もいます。

ですが、トラウマの傷というのは根深くて、思わぬときに、過去に親から受けた仕打ちがよみがえって再トラウマ化する。子どもに手は上げないまでも、とっさにひどい暴言が口をついてしまったりすることがありますね。

杉山 こうした負のつながりを「トラウマティックボンディング」といいます。日本語にすると「トラウマ的絆」になるでしょうか。

 本来、子どもにとって親などの養育者のそばは、一番リラックスできて安心できる場所です。ところが、養育者の言動や感情が定まらずにころころ変わったり、場合によってはたたかれたり、無視されたりということが続くと当然子どもh安心できません。常に「戦闘モード」に入ってしまう。

いつ怒鳴られるんだろう、いつ殴られるんだろうかと、始終緊張しどおしで心が休まらない。そして恐れていたとおり養育者にキレられたちり、たたかかれたりする。

そんな体験が日々積み重なっていくと、親子の愛着関係が歪んだまま形成されてしまうばかりか、子どもにとっては「この負のつながり」が生きていく上での基盤になってしまうんです。

 

友田 そうなると、自分に対する認知も歪んでしまいますね。「おまえはダメな子だ」「生まれてこなければよかった」などと言われて育っていくわけですから「、自尊心を保つことができない。

自尊心が低いと、学校生活などでいじめや困難なことにあったときにも、それを跳ね返せなくなります。

 

 

「自分はどうして世の中で何かを成し遂げられないのか?」

「つらいことを乗り越えることができないのか?」

親や親類に立派な人になれと偉人伝をたくさん読まされたが、到底そんな人のようになれず、目の前の仕事さえ完遂することができなかった。

親にされたように自分自身をダメな存在とみなし、自分を卑下し、自己憐憫の感情に飲み込まれたりした。

 しかし、それらのことは、自分のせいではなかった。

私に暴言を浴びせ続けた両親のせいでもない。

両親もまた傷ついていたし、そのまた両親(祖父母)も傷ついてきたと思う。

 

 トラウマ的絆を受け継いできた私に必要なのは、、もっともっと頑張り続けることではなく、自分の傷を癒し、自分の現実をそのまま受け入れることだった。

犯人捜しはもう終わりにしようと思う。

トラウマを癒すことを考えよう。

温かく心安らぐ絆を築くことを考えたい。

受け継いできたトラウマは重傷で、すぐには癒えないかもしれない。

回復と後戻りを繰り返すだろう。

それでいいんじゃないだろうか。