毒親(発達障害)と生きる

共感・肯定ゼロ 否定と操縦の子育てからの回復

反応性愛着障害ー母親(保護者)が『安全基地』として機能しないー1

 

 愛着が理解されるようになったのはわずか半世紀前

母親と子どもの結びつきは、お乳をのませることや世話をするという実利的な理由からで、子どもは自然に母親を卒業していくと考えられていた。

子どもを甘やかしたり可愛がったりすることは、子どもを弱く自立できない人間にすると思われ、母子の結びつきは困ったことのように見なされていた。

父権が強い社会では母子の結びつきは軽視されてきた傾向がある。

 

イギリス人精神科医のボウルビイは第2次世界大戦下で、母親の喪失や不在によって子どもたちが破壊的ともいえるダメージを負っていたという事実に気付く。

栄養や世話は足りているのに、子どもたちは成長が止まってしまう、発達上の問題や情緒的、行動的問題などを抱えていた。

 後に、ボウルビイは、母子の結びつきが破綻することによって起きるダメージは、人間に限らず動物でも見られることを知り、母子の結びつきを生物学的現象として理解するようになった。

特定の養育者との結びつきが、幼い子どもの発達や安定にとって不可欠な役割を果たしているという確信を持ち、その結びつきを「愛着」(アタッチメント)と呼ぶようになった。

捕食動物に食べられるという危険から身を守るために、幼い子どもは母親にくっついていることが必要であり、身体的密着を求めようとする仕組みが進化したと考えた。

また、単に捕食者から身を守るためでなく、不安を感じた時に愛着対象にしがみつくことができるということが、安心感の拠り所となり活発な探索行動を支える。

安心の拠り所を持つことで、子どもは知的、社会的、情緒的体験を積み、安定した人格を獲得するようになると考えた。

 

『安全基地』の発見 

ボウルビイの共同研究者だったエインスワース(米国人)は、ボウルビイのもとで3年半、研究をしたのち、アフリカ・ウガンダに渡って研究をつづけた。

それまで愛着がうまく育まれなかったケースが研究対象であったが、逆に安定した愛着はどういう兆候があるのか、どんな条件で安定した愛着が育まれやすいのかという新たな観点から研究を行った。

彼女はウガンダカンパラで26の家族を9か月ににわたり定期的に訪問した。

結果、安定した愛着を育んでいる母と子は、「母親が『安全基地』として機能している」ということを見出した。

危険が迫った時だけ母親のもとに逃げ込み、危険が去ると、子どもは再び母親の元を離れ、自らの活動に戻るということだ。

母親という安全基地が存在することで、子どもが「遊び」という探索行動を安心して行うことができる。

カンパラでは、大部分の母親と子どもは強い愛着で結ばれていたが、例外もあった。

母親になつかず、甘えようともしない子供も一定割合いた。

 

這って移動すること、歩くことを覚えた子どもは自らの欲求に従って、周囲の探索行動を開始する。

なんでも触ったり、なめたりしながら、その探索行動の範囲は徐々に広がっていく。

探索の途中、状況によってびっくりしたり、痛かったり、まずかったり、様々なことが起こる。

この期間の子どもの脳はものすごい勢いで発達しており、周囲の環境、物事、大人の反応などから、感覚を通して刺激を受けとっている。

 

安定した愛着が育まれているケースでは、わが子の変化や兆候を見逃さず、親は素早く反応した。

対して、愛着が弱い、全く見られないケースでは、わが子の反応に無頓着で、泣いていても抱き上げようともしなかった。

親の子どもに対する感度の違いが、愛着の強弱、愛着の有り無しに大きく影響していた。

 

ボルチモアでの母子の愛着

10年後にエインスワースは、アメリカのボルチモアで調査をすることになった。

ボルチモアウガンダカンパラとは違い、近代的大都市である。

ボルチモアでは、母親がいようがいまいが関係なく遊びに熱中する子どもが多くみられた。

カンパラでは例外的だった反応を見せる子どもが多くいた。

母親は『安全基地』として機能していなかったのである。

 

参考書籍「愛着障害の克服」

 

 

参考サイト

 

www.glico.co.jp