毒親(発達障害)と生きる

共感・肯定ゼロ 否定と操縦の子育てからの回復

発達性トラウマ障害から複雑性PTSDへ 

  

発達性トラウマ障害

マルトリートメントによって愛着障害になった子どもの心の疾患は、何の手当もされなければ、成長とともに深刻化していく。

 

マルトリートメントを受けたことで幼児期に愛着障害を起こす。

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学童期、ADHDに似た症状を示す。

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思春期あたりから解離やPTSD、非行などの症状が見られるようになる。

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成人期から複雑性PTSDの症状が顕著になり、解離、抑うつ、気分変動、自傷行為、薬物依存、衝動的行動をひきおこす。

 

この一連の症状をアメリカの精神科医 ベッセル・ヴァン・デア・コーク氏は「発達性トラウマ障害」総称した。

 

「親の脳を癒せば子どもの脳は変わる」  友田明美      

 

複数・暴言のマルトリートメントが脳に深刻な影響を及ぼす

研究により、トラウマ反応が最も重篤だったのは次の組み合わせだったことがわかった。

 

*「両親間のDV目撃」 + 「暴言のマルトリートメント」

 

つまり身体的マルトリートメントを受けた子どもよりも、親同士のDVを目撃し、言葉によるマルトリートメントを受けた子どもの傷つきのほうが、より深刻だったということです。

 単独のマルトリートメントでは先に紹介した大脳の視覚野、聴覚野といった感覚野へのダメージが顕著ですが、複数のマルトリートメントを一度に受けると、海馬や偏桃体にまで深刻な影響を及ぼすことがわかっています。

 

「親の脳を癒せば子の脳は変わる」  友田明美

 

つい最近まで、日本で「虐待」と言えば、身体的虐待をさした。

体罰を肯定する人もまだ多いので、暴言は躾・指導や叱責くらいの認識でしかないことも多い。

しかし、度重なる暴力の目撃と暴言は深刻な影響を子どもの脳に与えるということがわかってきた。

 

予測不能の事柄が発達期の脳にダメージを与える

 

発達段階の脳にとって最も重要なのは、次に何が起きるかわかっていることだ。ストレス反応の正常な機能を思い出せばわかるだろう。

森で熊に出くわしたとする。すると瞬時の決断を促すためにアドレナリンとコルチゾールが分泌される。逃げるべきか、それとも熊を脅かして追い払うべきか?うまく対処すると体は元の状態に戻り、ストレスホルモンは減少して、家に帰って自慢話ができるというわけだ。

 

 マッカシーは別の状態を例に挙げた。

「熊が家のまわりをうろついていて、どうしても逃げられず、いつ、どんな行動に出るのかがまったくわからなかったら?毎日そこにいて脅威となり、闘うことも逃げることもできない。すると緊急システムが繰り返し過熱状態になって、不安センサーは常にフル回転です。」

 口うるさい親、自己愛の強い親、躁うつ病の親など、子どもにとっては些細なストレスでも、虐待や親の失踪と同程度のダメージを与える可能性がある。

 

 「小児期トラウマがもたらす病」 ドナ・ジャクソン・ナカザワ

 

 

幼い子どもにとって親(養育者)と過ごす場が、安心と安全を感じる場所ではなく、いつ何が起きるかわからない緊張を強いられる場であったなら、脳内は常に緊急システムと不安センサーが働くことになる。

身体的虐待・ネグレクトがなくても、子どもは慢性的な過度のストレスやトラウマにさらされている可能性があるということだ。

 

虐待を自覚できないことが深刻な症状につながる?

 私が生まれ育った時代は昭和30年代、高度経済成長期と重なる。

教育に関して言えば、デモシカ先生などと言われ、優秀な人材は企業に就職するといわれていたようだ。

けれど、子どもの目から見ても立派で尊敬できる先生はいたと記憶している。

一方、体罰は社会的に容認されており、小学校での体罰はなかったが、中学に入ると体罰は横行していた。

だから、よほどの酷い身体的虐待やネグレクトでなければ、虐待とは認識されていなかった。

そういう時代であったから、自分が心理的虐待を受けているなんてことは微塵も思わなかった。

親も親で、怒鳴りであろうと、しつこい説教であろうと、意地悪な仕打ちであろうと、躾であり、子どものためと考えていた。

身体的虐待がなかったので、私はまあまあ適切に世話され、養育されて育ったと思い込んでいた。

そのため、何かうまくいかないことがあると、自分の責任で何が間違っているのだろうか、どこがいけないのだろうか、あれこれと考えすぎて自分を責めるパターンに陥ったと思う。

 

私が、両親から心理的虐待を受けていたと自覚したのは、老母と同居を始めた8年前だった。

この時、解離していた記憶の数々が、老母の言動がトリガーとなって解凍されたと思う。

厳しく、自由が許されない環境で育ったと一応は認識していたが、私が親から受けたダメージは自分で思っていたよりもはるかに深刻で重症だった。

父の母に対する怒声の目撃、父から私への執拗な叱責と、母からの予測不可能の頻繁で陰湿なモラルハラスメントを含む暴言などが、無数のトラウマになっていたようだ。

 

 

よくここまで生きてきた。

岡田尊司氏の「愛着障害」「回避性愛着障害」など、本の巻末にある愛着診断テストをすると、不安・回避・未解決で、不安と未解決でフルに近いハイスコア、回避もハイスコアだった。

同氏の「過敏で傷つきやすい人たち」の過敏性チェックリストでもハイスコアだった。

 

この結果に少し前の私だったら、かなりショックを受けたと思う。

なぜ自分がこんな目に合わなければいけなかったのかと、悲嘆したと思う。

今の私は、なんだか笑ってしまった・・。

こんな生きづらさを抱えて、よくここまで生きてきたと自分をほめてねぎらう気持ちになった。

「数々のトラウマと過敏さを抱えながらよく頑張ったよ」と自分で過去の自分も今の自分も認めたい。

そうしたら、自分の人生にようやくすっきりとした視界が開けたような気がした。

 

状況はそれぞれ違うと思うが、育ちの過程で傷つき、その傷が癒されぬまま生きている人は、私の他にもたくさんいると思う。

よく頑張っているね。よく今まで頑張って生きてきたね。

そんな思いが伝わるようにと、令和元年の年の暮れに願う。