毒親(発達障害)と生きる

共感・肯定ゼロ 否定と操縦の子育てからの回復

子どもを愛することは自分のため

 

親に愛されなかった人が親になると抱える葛藤

 

 「スマホをおいてぼくをハグして」より

 

傷ついた心を持つ親 親との関係が良くなかったお母さんをどう救うか

 

診療の場面 では、自分自身が深く傷ついている人、親から十分に可愛がられて育てられなかったと打ち明けるお母さんたちに出会うことも少なくありません。

 ストレスをたくさん抱えていると、余裕がなく、子どもにどう関わるべきかわかっていても、それができない、持続できないことも良くあります。

 そうして傷ついた親の中には、自分は親にかまってもらえなかった、愛されてもいなかったのに、どうして自分の子どもにはそういう配慮をし、愛情をかけなければいけないのかわからないという人もいます。「子どもがずるい」とまで言う人もいます。

 そういう率直な意見も治療者に伝えてくれたことに、感謝したいと思います。

このようなネガティブな感情は、表に出されることなく、心の中に押し込められ、まわりから気付かれずに終わってしまうことも多いのですから。

  

親に愛され、かわいがられなかったのに、子どもを愛情をかけて育てる。

これは口で言うほど楽なことではない。

毒親育ちの私もそれで苦しい思いをしてきた。

子育て当時、毒親という言葉もなかったし、モラルハラスメント心理的虐待という言葉もなかった。

 母のようにはなりたくないと気持ちだけで頑張ってはいたが、何かの拍子に幼かった時のことが思い出されて苦しくなり、つい子どもにつらく当たってしまう時があった。

自分の中に愛の泉(プール)ようなものがないのに、無理繰りに愛をひねりだしてる感じで、自分が擦り切れそうだった。

愛されて育った人はもっと自然に子育てしているのだろうか・・・

母親に共感されることなく否定され続けて育った私には、普通の子育て感覚はわからない。

頭の中で理解している子育てと、考える間もなくつい出てしまう態度を行ったり来たりした。

今までは八割方はいい親ができたかと思っていたが、このブログを書き始め、改めて振り返ってみると5割できたかどうか。

 

共感するとわりとうまくいく

かといって子育て期間の20年余り、何も学ばなかったわけでもない。

子どもが親にとって好ましくない事、やってほしくないことをやるときでも、子どもは子どもなりの理由がある。

それが大人や親にとって予想外のエッと思うようなことでも、子どもなりに感じたり考えてやっている。

できそうもないことを自分でやると強情に言い張ったり・・

大人に注目してほしくてわざとやったり・・

叱る、怒るよりも先にその気持ちを聞き出して「そうなんだー」「そうだったのね」と認めてあげるともうその時点で8~9割がた、子どもは満足する。

認めた後で、ここではそういうことはしないでねとか、今はママにやらせてね とお願いすると割合素直に聞いてくれることが多い。

ポイントは命令ではなく、お願いや提案であること。

言葉がよくわからなくても、気持ちが通じる。(と信じていた)

簡単なこと、スプーンやフォークなどを持ってきてもらい「ありがとう」としっかりお礼を言うのは、子どもが幼い頃よくやった。

子どもの誇らしくうれしそうな顔を見るのは、とてもうれしかった。

こうやって子どもの気持ちに寄り添うことは、過去の自分を癒すことでもあると感じた。

 

 親の駄目さをさらけ出す

 冷静に対応しようと努めていても、ついつい感情が先走ってしまう時がある。

そういう時は後で素直に子どもに謝った。

「さっきは怒りすぎてごめんね。」

何か理由がはっきりしている時は、

夕飯の支度が気になって、バスに乗り遅れそうで、ママあわててたの、など子どもにわかりやすいい言葉で説明してあげると納得してくる。

言葉の意味がよくわからなくても向き合ってくれていると感じてくれる。

こうすると子どもはストレス状態から回復できる。

○○ちゃんのこと大好き、さっきは本当にごめんね、といってハグできればさらにいい。

 

 

子どもを愛することは自分のため

一方的に否定され、決めつけられ、罵られてつらかったので、自分の子どもとは対等でいようと思った。

この世界で生きている時間はこちらの方が長いので、危険なことやってはいけないことはしっかり教えなければならない。

けれど、生命という存在として互いに対等だと思ってきた。

子どもが20歳を過ぎた今でも、私が間違っていたと気づいたことはすぐに謝るように心がけている。

今、毒親育ちの私の一番の理解者は、子ども達(娘と息子)である。

 

息子の過去の様子を振り返ってみると、発達障害の特徴をいくつか持っていた。

時間を経てできるようになったこともあるし、傾向として続いているものもある。

長い期間でみると発達のバランスがとれてきたように思う。

私は弟と差別的に扱われて育ってきたので、つい息子につらく当たってしまうことがあったし、配慮が足りない時もあった。

息子にマルトリートメントを繰り返したら、愛着障害がプラスされてかなりの影響を与えてしまったかもしれない。

息子には、正直に上に書いたようなことを18歳ごろに伝え、謝罪した。

ダメな部分を正直に伝えることで、親だと肩ひじ張らなくてよいので、とても楽である。

私は自分の母親からは望むような愛をもらえなかったが、子ども達からは十分な愛をもらったと思う。

過去は変えることはできないが、現在と未来は変えることができる。

 

 

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