毒親(発達障害)と生きる

共感・肯定ゼロ 否定と操縦の子育てからの回復

安心と安全・今を生きる・受容

 

安心と安全

 映画「万引き家族」では高層マンションやビルの谷間にある古びた一軒家が、貧困・犯罪歴・虐待などで社会の王道路線からはみ出した人のホーム・居場所になっていた。

血のつながらない(一部除く)6人の老若男女が肩を寄せ合う暮らしは不安定な均衡のもとに成り立っているけれど、互いに何かを押し付けたり、決めつけたりしない。

 

さて、毒親育ちにとって、安心で安全な場所とはどこだろう。

物理的には、親にとやかく言われない場所になるだろうか。

自分のままでいられる場所が外に見つかれば、そこが安全基地になるだろう。

親と一緒に暮らすしか選択肢がない場合、自室などのパーソナルスペースになるかもしれない。

そうやって自分の安心できる物理的な場所を確保したら、すぐに心が穏やかになれるかというと、そんなこともない。

なにせ、親とは生まれた時からずっと一緒にいたのだから、親によるメッセージは心と身体に刻まれている。

人間も動物の一種なので、親から生き延びる知恵や技術を受け継ぎ、進化し生き延びてきた。

親から受けた影響が社会で生きるのに有効なものなら、迷いなくその影響の土台に乗って生きていけばよい。

けれど、いわゆる毒親の子に与える影響はマイナスが多い。

 

今を生きる

物理的に安心できて安全な場所を確保しても、怒り、寂しさと孤独、劣等感、様々な感情が歪んだ渦巻模様のようにふとした時に浮かんでくる。

老母と再び暮らし始めた最初の3年間は毎日がこんな感じだった。

ガーデニングなど好きなことをしていても、自然の美しさに感動はするのだが、湧き上がる感情はそのままだった。

 

2世帯住宅に移って、母と自分のスペースを完全に分離したが、まだ心の中には消化できない怒りなどの感情が渦巻いていた。

そんな母との生活を6~7年続けた後、怒り続けるのに飽いたのか、満足したのかわからないがこのままではいたくないと思い始めた。

子どもが巣立っていくこともあり、母親としてではなく自分の人生をはじめたいとも思った。

目に見えて変わり始めたきっかけは、就寝前の瞑想からだ。

瞑想と言っても大したことはしていない。

iphoneに睡眠のための瞑想のアプリを入れて、やってみただけ。

その後、本やネットで必要な情報を探すうちにマインドフルネス瞑想が良いらしいとわかり、短い瞑想を始めてみた。

you tube 動画に上がっている簡単そうなものを選んでやってみただけだ。

今に集中することで、気持ちの持ち方が変わっていった。

過去にこだわり続ける必要はないと瞑想という行動を通して、頭と心と身体でわかりはじめた。

こう感じている、こう考えていると自分の感情と思考に気付き、今の自分と切り離してみることができるようになった。

浮かんでくるそれらの感情や思考は、過去の出来事や過去のデータからくる判断や予想だ。

 

自分をそのまま受け止める

瞑想を始めたからと言ってすぐ、過去のデータからくるネガティブな感情、怒り、自責、自己嫌悪、不安がなくなるわけでもない。

自分を責めるのをやめるのが一番難しい。

親や教師、知り合いや友人が言ったこと、世間の常識・通念などがごちゃ混ぜになって押し寄せて責められる感じだ。

そんな自分はダメだ、何やってんだ、と思えば自分の親と同じことを自分にしていることになる。

 

できなくても努力している自分→そのまま認めて受け入れる。

結果や成果は未来のこと、今を生きる自分を認める。

 

過去のデータに引きずられる時がまだまあるが、人生の楽しさや豊かさについて、考えることが少しづつできるようになっている。

 

 

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 参考記事

www.huffingtonpost.jp