毒親(発達障害)と生きる

共感・肯定ゼロ 否定と操縦の子育てからの回復

長い長い孤独のトンネルを抜けて

 

孤独のトンネルの向こう

アラウンド還暦の私、ここまでなんとか生き抜いてきた。

つらい思い出が多いのは、小学生~高校生くらい。

学生の頃は、家にいるのが嫌でバイトや遊びでとほとんど家にいなかった。

なぜなら、家は私にとって安心できる場所ではなかったから。

学生時代には、多くの友人がいた。

卒業後は仕事もそれなりに続けた。

結婚もして子どもも2人授かった。

子どもが小さな頃は大変でもあったが、子育て仲間にも恵まれ、楽しく充実していた。

その後、離婚した。

母子3人で生きてきた時も最終局面にさしかかり、

下の子どもも巣立とうとしている。

20年を超える子育ての期間はもう終わる。

 

そんな人生の折々に、心の中に埋められない空間があると感じていた。

心の底から笑えず、この世の出来事をまるで異世界に放り込まれたかのように冷めた目で見ている自分に気付く。

何かの変化や想定外のこと、他人に言われたこと、些細な事がきっかけとなって不安定になり落ち込み、自分の殻を必死で固めて防御する自分がいた。

そうやって、崩壊すれすれのところで生きていた時もある。

年齢を重ねてから自分の深い部分、土台が安定していないことに気付いてしまった。

 

私がずっと探してものは「安全と感じる心の拠り所ではなかったか・・・」

埋められないと感じてきた、心の奥底に覆い隠していた黒々と穴をあけたような空間がむき出しになった。

それは絶望と苦しみを伴い、古傷がぱっくり開いて無残にさらされ、その傷に「自分が丸ごと飲み込まれてしまった」かのような感覚だった。

 

けれども、その傷は時間の経過ともに少しづつ癒えはじめた。

その傷を見ないふりをしてやり過ごせば、自分で癒すと決心することもなかっただろう。

感情と記憶が、現代の知見や知識と照合され、新たな境地へ私を向かわせる。

完成できなかったパズルのヒントが見つかり、一つまた一つとピースを置いてみる。

一つ置くごとにそれまで見えなかったイメージが広がる。

全体像がおぼろげながら見え始める。

その過程を穏やかに微笑みながら楽しんでいる。

 

カテゴリの現在と過去について

 現在 2011年以降、老母と同居を始めた以降

過去  25歳で実家を離れる以前のことが中心

 

 

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