毒親の心理
老いた毒親から離れて2年経ち穏やかな日々を送っているが、
全ての社会的手続き(年金など)から全く解放されたわけでもない。
何かをしなければならない時に、否が応でも過去のネガティブな記憶と感情(怒り・悔しさ)に引きづられる時がある。
還暦も超えて解毒しきれていない状況を何とかしたいと思っていたら、この本にであった。

毒親という言葉(概念)、本や記事もたくさん見れれるようになって10年あまり経過したが、
子どもの立場からの分析(インナーチャイルドを癒すとか)が多かったように思う。
けれど、この本では親の行動の特徴・心の問題などが詳しく書かれている。
- そして「境界線」(親と子の適切な心理的距離・価値観・感情・責任の所在)について
これらの事柄について大いに納得するところがあったので、3つの記事に分けて書いてみる。
今回は 毒親の心理 について
心が健全な親 心が不健全な親
健全な親は子どもの自由を尊重し不健全な親は干渉する
健全な親は、子どもにも選ぶ権利があると考えます。
好きなものを手に入れ、嫌いなものを避けることは、人生を幸せに暮らすために重要だとわかっているから、子どもが自由に選ぶことを尊重しようとします。
しかし、不健全な親は、子どもが間違ったものを選ばないように干渉しようとします。子どもが選んだものを見て、親の価値観に合わなければ間違っていると決めつけ、親が正しいと思う道から外れないようにしようとします。
全く子どもに干渉しない親もいないけれど、毒親の干渉は度を超えていることが多い
と思う。
健全な親は子どもを対等に見て、不健全な親は下に見る
健全な親は、子どもと対等な関係を作ろうとします。親だからえらいなんて思わないし、子どもだから親にした従えとも言いません。
だから子供は安心して自己主張できますし、否定されないことを知っているから、嫌なことをはっきりと断れるようになります。
しかし、不健全な親は、自分が上であることを誇示するために、子どもを下にしようとします。
常に自分が偉い存在だと考えて子どもが従わなければ否定します。
親を敬わないことがいかに悪い事なのかと言って責めますし、親に感謝が足りない、大切にしろと言い続けます。
私の親も上下の人間関係しか知らないようだった。
親が上で子どもが下、そんな家庭は息苦しくて安心して過ごせる場所ではない。
健全な親は子供に考えさせて、不健全な親は意見を押し付けて否定する
健全な親は、子どもが自分で決められる人に育てようとします。
いつまでも親が守ってあげることはできないから、子ども自身が自分の力で生きていけるようにするのが親の役目だと考えるからです。
さらに子ども自分自身で考えて決められるからこそ幸せになれる事を知っています。
しかし、不健全な親は考えを押し付けます。
親が正しいと考えることは子どもにとって正しいことだと思い込んでいます。
子どもの意見に耳を傾けることなく、親に従っていれば失敗はないと決めつけておしつけます。
親との思い出は「押し付けと否定」の繰り返し
子どもの意見は反抗 だった。
健全な親は子どもの成長に責任を持ち、不健全な親は見返りを求める
健全な親は、子どもが自分の力で生きられるようになるまでは親の責任だと考え、当たり前のように力を注ぎます。見返りは求めません。
感謝されることはうれしいですが恩返しを要求することはありません。
それをしなくても、子どもの成長こそが親にとって報酬だと感じられるからです。
しかし、不健全な親が子育てを「苦労」ととらえます。
そして、苦労を無駄にしたくないから、子どもに対して親を満足させるような生き方を求めます。
引用元 「嫌いな親との離れ方」川島崇照
子どもに見返りを求める っていうのは子どもに甘える(親子の役割逆転)ということだ。
母は老いてますます見返り(世話・ケア)を要求するようになった。
「心が健全な親」と「心が不健全な親」との対比で書かれているので
子どもへの接し方・関係性の違いがよくわかる。
いわゆる「毒親」は 子どもにとって毒になる親 という意味だったけど
「毒親」 の言い換え方の一つが「心が不健全な親」になる。
さらに、
の中では「精神的に未熟な親」という表現になっている。
(英文ではどのような言い方なのかわからないけれど)
「毒親」以外にも表現の仕方が他にもいろいろあるのはいいことだと思う。
「心が不健全な親」も「精神的に未熟な親」も
親との関係に悩んできた自分には納得する表現だ。
ここからさらに「心に問題のある親」という表現もでてくる
心に問題のある親が抱えるコンプレックス
ここでいうコンプレックスとは単なる劣等感ではなく、
ユングが用いた心理学の用語としてとらえると
愛着・葛藤・憎悪・恐怖などの様々な感情が複雑に絡み合ったもの。
無意識内に存在し、「心的複合体」といわれるようだ。
コンプレックスは無意識にありながらも行動や言動に影響を与える
平たく「思い込み」と表現すれば、
ある親がお金の話をするのはさもしい、卑しいと思い込んで(刷り込まれて)いれば、家族(子ども)とオープンな気持ちでお金の話をすることはないだろう。
心に問題のある親が抱える4つのコンプレックスと問題行動
失う不安と子どもへの過干渉・縛り付け
自分には愛される価値がないと思い込んでいて自分は大切なものを失うと強い不安を抱える親が、子どもに生きがいを求めて依存する。
自分の傍から子どもいなくなってしまうのではないかと不安になり、自由を尊重できずに過干渉になる。
子どもが離れる事で自分自身の存在意識を失いそうで不安になった親が子供を縛り付けておこうとする。
孤独・孤立への不安で子どもに依存
孤独・孤立への不安を抱える親はいつか自分は孤独になって寂しい思いをすると無意識のうちに思い込んでいる
自立心に乏しく自分の力で生きる努力をせず、いつでも誰かに依存しようとする。
生活の世話や心のケアを子どもにさせている親は子のタイプに多い。
「自分は苦労して子育てしてきたのだから恩返しされて当たり前」「子どもが親の面倒を見るのは当たり前」と最初から子供に頼ると決めている。
子どもに断られたら、可愛そうな親を演じて「子どもに裏切られた、傷つけられた」と悲劇のヒロインを演じる。
被害者意識が強く、子どもが従わないと「縁を切る」「死ぬ」と言って脅す
無価値・無能への不安が子どもに高いステータスを求める
無価値・無能への不安を抱える親は無意識に自分自身の価値も能力も他人に比較して低いと思い込んでいる。
家の外では自身の低さを隠している反動で家庭内では支配的
子どもを社会的に成功させたら自分の価値まで高くなったように思う。
自由を奪われる不安を持つ親は家族も自由を邪魔する存在
自由を奪われる不安を持つ親は無意識のうちに他人から邪魔されて不自由になるはずと決めつけている。
精神的に未熟で責任感が乏しく苦労せず楽をして生きていたいという意識が強い。
子どもを放置して自己中心的に生き,自分の趣味や時間にお金をかけていたりする。
子どもが働くようになってから、金の無心をする親もいる。
コンプレックスを抱えている親は、どの親も同じように境界線を越えて子どもの領域に侵入しコントロールしようとする
親自身の不安が子どもから与えられていると錯覚している。
その不安を安心に変えたいと思っていて、目の前の子どもを親が思う理想の形に変えれば安心できると無意識に思い込んでいる。
そして子供が選んだ人生を否定したり、親の都合のいい生き方をおしつける。
参考「嫌いな親との離れ方」
精神的に未熟な親の理由
精神的に未熟な親の心理についても「親といるとなぜか苦しい」を参考に書いておく。
精神的に未発達な親もかつては子どもであったが、その多くが幼い頃に感情を封じ込めてきた可能性が高い。
精神的に未熟な親もまたその親との確執があったり、つながりがなく、精神的な孤独に耐えるために幼い頃から心に厚い壁を貼り巡らせてきたと推測される。
また古いタイプの子育ては子どもに口答えさせないことが重要であり、体罰も容認された。
子どもの精神的な安定や個性といったことを考えるよりも、子どもがどれだけ親の言う事に従うかが重視されがちだった。
こうして幼いうちに感情の多くを封じ込めた結果、のびのびと心身のバランスの取れた姿に成長することができなかった。
しっかりとした自己意識・アイデンティティを育んでいくには自分の感情や思考を十分に掘り下げてから表に出すことが必要だが、それができなかった。
精神的に未熟な人は幼少期に、一人の存在として各こったる自分を作り上げていく代わりにある種の感情は悪いもので禁じられていると思い込まされる。
そして無意識のうちに深い感情を経験することに対する防衛機制を身につける。
その結果、自分自身をつくり上げていくためのエネルギーを押し込めてしまう。
人は感情と共に成長する
私の両親は他人や社会に対する批判や悪口はよく口にする人だった。
そして毒親の特徴にもれることなく子どもを一から十まで自分たちの思い通りにコントロールしようとしていた。
自分ができもしない理想を押し付けてきた。
何かをやりたいと言ってもそれは全て却下された。
自分達がすべて正しいと思い込んでいたというのもあるし、自分たちが知らない事や未経験なこと、新しいものにに対しての親自身の不安だった。
私もそれに気づいていた。
子どもの人生と親の人生は別のもの
(子どもの経験と親の経験は別のもの)
子どもの価値観と親の価値観は別のもの
という事が決定的にわかっていなかった。
親はその親の言うとおりの人生を送ってきたのかもしれない。
私の知る限り親はその親と感情のこもったやりとりをしているのをみたことがない。
どこかよそよそしく家族というのに建て前の会話をしていた記憶がある。
両親にとって感情を表現することは悪い事で、それはまた親の親から受け継がれてきたことなのかもしれない。
私自身も親の前では感情を抑制したせいで、自分の好き嫌いがわからず、自分が何者なのかよくわからなかった。
自分自身を知っていくのは社会に出てからと結婚し、子どもを育てるようになってからだ。
一時期、「自分探し」という言葉が流行り、揶揄される風潮ももあったが、私には必要な時間だった。
こんな自分の人生もまたありと受け入れ、自分の感情・内面と向き合うのに長い時間がかかった。
感情を抑制し、無意識化に押し込めようとすると、コンプレックス(心的複合体)になっていくのではないだろうか。
感じているのに感じないふり、堅固な防衛機制をかけることでコンプレックスはますます増大していくのではないだろうか。
無意識層にあるといってもそれは様々な言動に影響をおよぼす。
感情は意識されると成長の原動力になる。
自分が何に対してそのような感情を抱くのか知ることは自分をよく知ることになる。
感情は誰かにぶつけるためのものではなく自分の生き方の指針となるものだ。
ネガティブな感情はその感情を感じた相手に否があるのではなく、
そう感じる自分の生き方への指針である。
感情は自らの責任のもとにある。
それを親は知らなかったのだ。
